1.羽根と花びら
 2.Meteor
 3.凍える月
 4.Invoke


 ―何処かで波の打ち寄せる音が聴こえる
 ―遠くに何かが堕ちる音が聴こえる

1.羽根と花びら
「……ここは、……どこ?」
まだ覚醒しきれていない意識でぼくはそう口にした。
どうやらぼくはここに設えたベッドの上に寝かされているらしい。
身体は全身くまなく痛み悲鳴を上げ続けている。
身体を起こすことはひどく困難だった。
ぼくはようやく言うことを聞くようになった重い瞼を開け眼だけで辺りを見廻した。
そこは見覚えの無い質素な部屋だった。
視界の端に木製のテーブル一つ、椅子一組を見ることが出来た。
テーブルの上には水差しが載っているだけで他には何も無い。
ベッドに対面する壁には何かの絵画がかかっていたが、
それは絵と言うよりはただの紙と言っても差し支えないように思う。
真っ白だったからだ。何も描かれていない。
ぼくがそれを「絵」と判断したのは単に額縁にはまって壁に掛けられていたからだ。
その脇にはずいぶんと草臥れた制服がかけてある。
エムブレムはぼくの属していた軍のものだったのでそれはぼくの着ていたものなのだろう。
頭上の方で扉が開く音がした。首を上げて確認しようと思ったがその自由すら利かない。
ぼくは諦めて浮きかかった首を枕に落とした。
また身体がひどく痛んだ。体中が軋んでいるようだ。
ぼくはあまりの痛みに眼を瞑った。

「眼が醒めたのね」
再び眼を開けたときぼくの視界に飛び込んできたものは、見たことも無い少女だった。
心配そうにぼくの顔を覗き込んでいる。
「よかった」彼女はそう言ってぼくの髪を撫でた。
冷たい指先で、ぼくの額に触れる。痛みが少し和らいでいくような気がした。
「ここは、どこ?」ぼくはまた繰り返した。
「わたしにも解からないの。ごめんなさい。わたしは“ここ”しか知らないから」
彼女が済まなそうに答え、ぼくに背中を向けた。
部屋の端のテーブルに行き、手に持っていたグラスを静かに置き、水差しの水を注ぐ。
ぼくはその動作の一つ一つを眼で追っていた。彼女にはそうすべき何かがあるように思えた。
彼女は髪を腰のあたりまで伸ばしている。
彼女が動くたび、その綺麗な髪も緩やかに揺れる。
彼女は簡素ではあるが白く清潔なワンピースを着ていた。
半袖の服からのぞく腕や足も細く、白い。
彼女がぼくの側に戻ってきて、グラスを差し出した。
ぼくは首を僅かに横に振り断った。
彼女は哀しいような、困ったような複雑な表情で微笑んだ。
ぼくは彼女の顔をじっと見つめる。
彼女の眼はまるでぼくの住んでいる惑星を宇宙から見たかのようなブルーだった。
ぼくの住んでいた惑星が彼女の眼の中にあるような気分だ。
「あなたは“ここ”以外の場所から来たみたいね」
きっとそうだ、ここは見たこともない場所だ。
「多分ね……」ぼくは痛む身体を無理にでも起こそうとした。
彼女がそっと手を添えて身を起こすのを助けてくれた。
「あなたは死にかけていたのよ。大怪我をしていたの」
ぼくの背中を支えながら彼女がそう言った。
「……だろうね」ぼくはあちこちに包帯を巻かれているようだ。
「君が助けてくれたの?」
「わたしはあなたを見つけただけ。あなたは湖の淵に倒れていたの。傷を負ってね。
 それをここまで運んだだけよ。後は、今はもうここに居ないけれど、ある人が手当てをしたの」
彼女は何故かまた先程の複雑な表情を見せた。
「そう、その人にお礼を言わなきゃ」
「それは残念。もう居ないのよ、彼」彼女は窓の外を覗き込みながら言った。
「え?」ぼくも彼女と同じ方向に視線を向けた。
窓の外は見えない。白く反射しているのだ。
おそらく湖面に光が射して反射している所為だろう。
「もう“ここ”にはわたししか居ないの」ぽつりとこぼす。
「そう、なんだ。それは残念だ」
「ええ。あんなに一緒だったのに」
「そうか……」ぼくがそう言うと彼女はくるりとぼくの方を向いて微笑んだ。
「ねえあなたは何処から来たの?何でそんなに大怪我をしているの?」
いかにも興味津々と言った感じでぼくに質問をぶつけてきた。
「えっと、ぼくは……」面喰ってしまった。多少混乱もしていたのだろう。
そんなこと今まで気にかけていなかった。
思えばここは敵軍の領域かもしれないじゃないか。それに気が回ったのもこの時が初めてだった。
まだはっきりと意識が覚醒していなかったのだろう。
彼女はぼくをじっと見詰め、答えを待っている。
ぼくはその真っ直ぐな視線を受け少し、居心地が悪いような気になった。
「ぼくは、地球っていうところから来た。地球って知ってる?」
「ちきう?知らないわ」彼女は首を横に振った。
「ぼくの住んでいた惑星だ。蒼くてとても綺麗だったんだ」
「すてきなところなのね?」
「以前はね。君の瞳のような惑星だった」
「以前は?じゃあ今は違うの?」
「今はちょっといろいろあってね……」
「いろいろ?」
「そう、いろいろね」
「かなしいわね」
「うん、かなしいよ。でも、それでもぼくの生まれ育った故郷だ」
「こきょう?」
「いつか還る場所ってこと」
「いつか、かえる、ばしょ……」
「うん。今は戦争をしているからね。だからいろんなものが失われつつある。かなしいことだけど」
「戦争……。殺し合いをしているのね」
「ああ。際限なく繰り返している。まるでそれが義務であるかのように際限なく、飽きもせず」
「だからあなたもそんなに傷ついていたのね」
「死んだと思っていたのに……」
「死ぬ?」
「うん。もうだめだと思った。生きているはずなんてないって」
「……」
「たくさん殺して、たくさん殺された」
「……」
「ぼくもたくさん殺した……。だからぼくも死ぬんだと思ったんだ」
「それで“ここ”に来たのね」
「“ここ”は何処?」
「わからない。わたしにはわからないの。でも“ここ”はもうないひとたちが降るところよ」
「もう、ない、ひとたち?」
「もう命がないひとたち。いろいろなものを失ったひとたち」
「降る?」
「そう、外を見て」彼女が窓を開けた。
部屋に渇いた冷たい風が這入りこんでくる。
ぼくは眼を凝らして彼女の示す方向を見た。
上空から白いものが振り降りている。
ぼくははじめ雪かと思った。しかし雪ではなかった。
白い反射に眼が慣れてくるとその正体が掴めた。
「あれは……。羽根?白い羽根?」
「ええ。あれはもうなくなったひとたちの残骸なのよ。それが“ここ”に降るの」
「羽根が降る」
「見て。紅い羽根も混じっているでしょう?」
「あ、ほんとだ」
「あれはね、殺されたひとたちのものなの。流した血に塗れてしまったものなの。
 あなたの惑星で戦争をしているからなのね。最近赤い羽根がたくさん降るのは」
「死が降る場所なのか、ここは……」
「……そうね」
「君はずっと“ここ”に居るの?」羽根でもない姿の君は?
「そうよ、ずっと“ここ”に居るの。“ここ”しか知らないもの」
「“ここ”で君は?」
「羽根を見守るの。それがきっとわたしの役目」
「役目?」
「わたししか居ないもの」彼女はかなしそうに微笑んだ。
「ひとにはすべきことがある。それが役目でしょう?
 わたしにしか出来ないこと、あなたにしか出来ないこと」
「それが役目。ぼくにもある……」
「あなたがすべきこと」
「ぼくは……。
 ぼくは、少しでも早くこんな馬鹿げた戦争が終わればいいと思って銃をとったんだ」
「あなたが戦争を終わらせるのね」
「それが、ぼくの役目だ、きっと。
 でももう無理かもしれない。ぼくがここに来てしまったから。
 それにもし戻れたとしてもぼくひとりの力じゃ無理かもしれない。
 終わりなんて見えてこないんだ。凄い嵐が吹き荒れていて一条の光さえもさしこまない。
 真っ暗闇だ。どこに辿り着くのかもわからない、辿り着けるのかさえも知れない。
 ぼく達ひとは何故こんなことを始めてしまったのだろう……」
「先のことなんて誰も知らないわ」
「え?」
「現在(いま)しかないもの、わたしたちには。
 過去は振り返るもの。未来は目指すもの。そして現在はここにあるもの」
「ここに、あるもの?」
「わたしのものは総て同じだけど。わたしには“ここ”しかないから」
彼女はいつもかなしそうに微笑む。
まるで微笑むことが罪であるかのように。
「あなた達の世界は違うのでしょう?
 振り返ることの出来る過去があって、目指すべき未来がある。
 だからあなたも出来るかもしれないじゃない。
 目指す先さえあれば、ここにある今さえあれば。
 いまをどうすべきかあなたはわかっているのでしょう?」
「……」
「まあ!ごめんなさい。少し話しすぎてしまったみたいだわ。あなたは怪我をしているのに」
「ううん、大丈夫だよ。話せてよかった」
「そう?」
「うん、とても」
「でも少し眠った方がいいわ。起きたら何か食べなくちゃ」
「そうだね。じゃあ少し眠るよ」
「ええ、おやすみなさい」
彼女が椅子からゆっくりと立ち上がった。
いちどぼくの額を撫でた。冷たい指先。
彼女が部屋から出て行くのを見送ってからぼくは眼を閉じ、あっという間に眠りに引き込まれた。

眼を覚ましたときも何も変わらない風景が広がっていた。
質素な部屋。反射する窓の外。降り注ぐ羽根。
いまがいつなのか、昼なのか夜なのか見当もつかないが、そんなことはどうでもいいことのように思える。
ここではそんなこと意味さえ持たないのだろう。
いつも、いつでも、何も変わらない。
ただ降るだけ、降り積もるだけ。
そして彼女が居るだけ。 身体の痛みは多少残っていたが先ほどよりはだいぶ好くなっていた。
「起きたら何か食べなくちゃ」と彼女は言っていたが、きっとその通りなのだろう。
ぼくは空腹を感じていた。
何か食べて栄養をつけなくてはならない。
何のために?戦場に戻るために?戦場で死ぬために?なんだか変な話だな。
ぼくは自分の力だけで身体を起こした。
扉が開き彼女が這入ってきた。
「眼が醒めたのね」彼女はぼくを見て微笑んだ。
「おはよう。よく眠れたんだ。とても気分が好いよ」
「でしょうね。あなたあの後から三日も寝ていたんだもの」
「三日?」
「ええ。ずっと眠り続けていたのよ。よかったわ、元気になって」
「そう、か。どうりで……」
「今何か食べるものを持ってくるわ。ちょっと待っていてね」
彼女が翻って部屋を出て行った。
長い髪が綺麗に揺れる。その残像はとても美しかった。
三日も眠り続けていたのか。そのお陰で体力も快復し始めている。
彼女がトレイを持って戻ってきた。
ぼくは優しい味のするパン粥を食べた。
彼女はぼくが食事するところを嬉しそうに眺めていた。
「おいしかった。ごちそうさま」
ぼくがそう言うと彼女は微笑み、またぼくの額を撫でた。
「よかった。食べてくれて」彼女はまたトレイを持って扉の外へ消えた。
すぐに戻ってきてぼくの包帯を変えてくれた。
ぼくは空腹が満たされたせいか、疲労のせいかわからないけれどまた眠くなってしまった。
「いまはゆっくり休むことが大事よ。おやすみなさい」
彼女はそう言ってぼくを寝かせ、部屋の灯りを消し出て行った。
「うん。また明日」彼女が部屋を出る寸前でぼくは何となくそう口にしてみた。
彼女はさびしげに微笑み扉を静かに閉めた。

つづく

-2004年7月31日 深夜-


ひとこと
続きます。
あんまり深く考えないで下さい。

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