星空の下で見る夢は

―漆黒の布を広げよう
―そこに真っ白な砂糖菓子をばら蒔こう
―たくさんたくさんばら蒔こう

「綺麗ね」
私はやや興奮気味に、隣に腰を下ろしている男に言った。
「そうだね」そう言って彼は私の目を覗き込むように微笑む。
私はこの視線に弱い。
彼の瞳。切れ長で色素の薄い茶色の瞳。
奥底を、私の深いところを見透かしているような気がしてしまうからだ。
少し決まり悪い事は確かだが、一方では心地良い。
他人にここまで理解される事はあまりない貴重なことだから、
見透かされることも悪くない。
それよりもこの男が私を「見透かす」ことに意味があるのかもしれないな。
それぐらい、私はこの男を信頼していた。
信頼。口に出してしまうとなんて陳腐で安っぽく芝居じみた言葉なんだろう。
先が透けて見えるほど薄っぺらで、吹けば飛ばされる真綿のように軽い。
その単語自体に「信頼」が持てないが、
この男に見つめられるだけで簡単に「信頼」しても良いと思ってしまう。
全く、私は矛盾している。
「どうしたの?」彼はもう少し、私の中に踏み込んできた。
私はまだ少し、怖かった。
「いいえ、なんでもないわ。それよりこの空を見てよ。まるで星が落ちてきそう!!」
私は両手を広げて夜空を仰ぎ見た。
空気は鋭いほど研ぎ澄み、星は凍えるほど瞬いている。
腰を下ろしている草地には夜露が降りて湿っていたがそんな事は気にならなかった。
見えるものは闇と星。そして隣にいる男。
圧倒的な星の量に私はすっかり興奮していた。
男は私につられ上空を見上げたがそんなに感嘆していないようだ。
もしかして見慣れているのだろうか?

「……今ここで死ねたら素敵なんだけど」
私は試しに言ってみた。
実はその目的がないわけでもなかったが、その時期はまだ少し先だと思っていた。
少なくとも今日じゃないし、明日でもない。
しかし来週でもないとは言い切れないし、来月でもないとは言い切れないし、
来年でもないとはもっと言い切れない。
近い将来、早かれ遅かれ、迎える事実。
「いいね」彼は私に寄りかかって言った。
「とても素敵な提案だ」
彼が私の頸に手を回した。ひやりとした手の感触が頸から全身に通じる。

そして。

彼は私の咽喉仏のあたりにぐっと力を入れる。

そして。

微笑む。
笑う。
嗤う。
嗤っている!!

「ち、ちがう!!」
私は抗いながら叫んだ。
咽喉を圧迫されている所為か思うように声が出ない。
「何が違うんだい?」
「けほ……、私は死にたいと言ったけれど……」
「言ったけれど?」彼は少し力を緩めたようだ。
「殺されたい訳じゃないわ!!」
「何を言っているんだい?そんなもの同じじゃないか」
また力が加わった。
まるで私の命は彼の掌で転がされているようだ。
実際そうなのだ。彼の手が私の咽喉を支配している今は。
「違うわよ!!私はそんなに倒錯していないわ!!」
「君はおかしいことを言う。殺されることと死ぬこと、結果は同じじゃないか?
 君は結果が欲しかったんじゃないのかい?」
「そ、そんな……。うぐぅ……」
「君は僕のことを好きだと言った」
確かに言った。言ったわよ、昨日。
「自分以外の人間を好きになること自体が倒錯しているとは思わないかい?」
「え!?」
いったん彼の力がまた弱まった。するりと交わす事が出来るほどに。
私はその気になればその掌から逃げられたはずだ。

……出来なかった。
……しなかった。

そんな私に満足したのか彼はゆっくりと、ゆっくりと。
まるで私を労わるかのように。
力を込めていった。

そこで私は眼が醒めた。
「なんだよ、結局、夢オチかよ」

でもあれが夢だったからと言って、私の首が胴体と繋がっているとは限らないし、
この未発達な胸(しかし限界)の下で心臓が鼓動を打っているとは限らないし、
水槽の中で色々なコードに繋がれた脳味噌だけが生きているかもしれないし、
これも夢かもしれない。
夢オチの夢オチ。
私は小泉八雲の『Mujina』を思い出して少し笑った。
「さてと、起きるか」私はそう呟いて身体を起こした。
どうやらまだ首と胴体は繋がっているようだ。
大きく背伸びをするとともに大欠伸もする。
心臓だって動いているらしい。
私は隣で、安らかに眠っている男を見た。
薄茶色の髪が、窓から差し込む朝陽に照らされて輝いている。
ピクリとも動かない瞼は重く閉じられ、あの瞳を見る事は出来ない。
おそらくこの先ずっとその機会は、ないだろう。
さらっとした彼の髪を一撫でする。
それでもまだ、眼は醒めない。

「死んだのが私じゃなくて好かった」首をさすりながら呟いてみる。
立ち上がって洗面所に向かった。
私はこれからスーツに着替え、満員電車に揺られ会社に行き、
愚もつかぬような雑用をこなし、また満員電車に揺られてここに帰ってくる。
ここ数年何度となく続けてきた生活だ。
同じ事を繰り返すだけの、最早疑うことのない、確立させてしまった、
死ぬに死ねない、うんざりするような毎日。
そう、まさに無間地獄。
この地獄から抜け出せる日は来るのだろうか?
明日、明後日?
それとも来月、来年?
いや、来週かもしれない。

―了―

-2002年10月27日 深夜-

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あとがき
 またこんな話かよ。
 ここだけの話ですがここに出てくる「男」にはモデルがいます。
 現実の人間ではありませんが……。
 因みに戯言遣いではありませんよ、いーたん。

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