救い

「それが“救い”だと?!
 それを“救い”だと言うのか?
 ははは。全く、笑わせてくれるぜ。
 そんなもの要らないと始めから言っていた筈だ。
 俺はそんなもの求めちゃいなかったろう?
 俺がいつそんなもの求めたって言うんだ。
 思い出してくれよ?
 俺が求めていたものは“静寂”と“孤独”だけだ。
 何処に救いがある?
 その何処に救いの這入り込む余地がある?
 ええ?!
 俺に何かを与えようとするならそれは大間違いだぜ。
 俺に何かを与えようとするなら、俺が欲する事はただひとつ。
 何も与えられない事だ!」

バァン!!

探偵が両手でテーブルを叩いた。
左の拳がソーサーにあたり、跳ねた。
叩きつけられてティーカップとソーサーが砕ける。
零れ出た琥珀色の液体がテーブルの上にゆっくりと拡がっていく。
一気にまくし立てた所為か、彼の息は上がっているようで肩も大きく上下していた。
顔は上げない。

「俺は他人に何かを与えようと思わない代わりに
 他人に何かを与えて貰おうとも考えていない」

探偵がいつかと同じ事を口にした。

「自分が他人に何かを与えてやれると考えること自体が驕りだ。
 同時に、他人から何かを奪えると考える事もな。
 ……そんなモン、見たくもねぇよ」

探偵が顔を上げ、相手の顔をキッと見据えてはっきりと言った。
相当の迫力というか、気迫だった。
あの探偵に睨み付けられたら、竦みあがり脅えてしまうほど鬼気に迫っていた。
少し離れた所に立っていた私でさえその迫力に完全に飲み込まれていた程だ。
探偵の屁理屈とも言える主張に口を挟む事すら忘れて。
……勿論、口を挟む余地さえなかったが。
彼の呼吸さえも鋭さを持ち、常にまわりの空気を斬り裂いているかのようだった。
その気になればその鋭利な刃は、更に辛辣な言葉となって相手を切り刻む事も可能な筈だ。
それ程、探偵とそのまわりの空気が刺々しく、緊迫していた。

かたん。

相手が静かに立ち上がった。
悲しそうな顔で首を数回、横に振ると「仕方がない」というように溜息をこぼした。
探偵の激しさとは大違いに、まるでそれを無視し、受け流すかのように……。

ばたん。

相手が静かに部屋から出て行った。

私は相変わらず、呆けたように立ち尽くしていた。

どかっと探偵がソファに座り込みひとつだけ、息をこぼした。
安堵の溜息とも後悔の溜息とも取れる、曖昧な溜息だ。
テーブルの上にはティーカップとソーサーの残骸が置かれたままだ。
時折、床に紅茶が滴る。

「絨毯をひいてなくてよかったな」探偵がぽつりと言った。
私は我に返り「あ、ああ」と呻くように答えた。
そんな私の返答が可笑しかったらしく、探偵が苦笑している。
彼の周囲から鋭さと激しさが薄らいで行くのが解った。
いつもの、昼行灯の「探偵」だった。

「ウェッジ・ウッドが台無しだ」
探偵はカップの破片を集めていた。
「な、何がウェッジ・ウッドだ。
 それはお前がどこぞのコーヒーハウスから拝借してきた物だろう?
 全く、手癖の……」
探偵の右手、親指の付根付近から血が流れている。
「どうした?」
探偵が私の顔を覗き込む。
「血が出ているじゃないか?!」
「ああ、マイセンを叩き壊した時に欠片で切ったようだ」
当の本人は全く気にしないように傷口を見ている。
私は呆れて言った。
「ウェッジ・ウッドじゃなかったのか?
 まあいい。消毒してやるよ。
 全く世話の焼ける奴だ」
「悪いな」探偵が珍しく殊勝に言った。

「なぁ。
 俺はお前に何かを与えて貰おうなんて考えてないぜ。
 勿論、お前に何かを与えてやろうともな」
私は探偵の傷口にオキシドールを塗りながら言った。
彼はややあってから口を開いた。
「解ってるよ。
 お前も俺も、何も持っていないじゃないか」
「まあな。
 ただ、ただな、お前の力になりたいとは思うんだ」
普段ではまず口にしないようなセリフが臆面もなく出てしまった。
だが、いつも私が心の何処かで思っていた事だ。
そんな私を茶化すことなく―いつもなら絶対に茶化す―彼が返した。
「貸し借りはアリだ。
 借りはいつか返すし、貸しもいつか返してくれれば好いよ」
探偵が眼を細めて笑った。

「出世払いか……」
私は包帯を巻きながら呟いた。
今はまだ学生だが、大学を卒業して社会人になってということが上手く想像できない。
「出世出来ればの話だ。
 気が遠くなるよなぁ、物書き見習い?
 まぁ、俺は気も長い方だし、心だってワンルームマンションのように広くて、
 ユニットバスの風呂がまのように深いから、安心しろよ。
 取立てなんてしねぇから」

ぐうの音も出なかった。
「広い心をお持ちのようで」との皮肉さえも言えなかった。

探偵は既にいつもの「探偵」だった。
彼は小憎たらしく笑っている。

私は思い切りきつく包帯を巻いてやった。
探偵がわずかに顔を顰める。
少し、心が晴れた。

<了>

-2002年7月29日 深夜-

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